元インテル社長、少数精鋭のビジネス研修「西岡塾」とは

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西岡塾とは

塾長 西岡郁夫が考える「イノベーティブなミドル」とは

「中間管理職たちよ、会社を背負って立つ幹部を目指して自己変革に立ち上がろう!」
イノベーティブなミドル」とは

西岡塾の専任講師は西岡のみ。
西岡の人脈から意気に感じて馳せ参ずる実践力・実績・知見豊かな講師陣がミドルたちの自己変革を促すために動機づけと奮い立つ勇気とを与える熱血軍団だ。

大企業の制度疲労、競争戦略不足、ガバナンス不在などなど、グチを言うより、
まず自分と自分の組織の変革を主導し、その市場価値を上げよ。

 「Innovativeなミドルは上司、同僚、部下、家族だけでなく全ての人たちから信頼される人間力を持つべき」


「Innovativeなミドルは人々と話を傾聴し合い、感動し合い、共鳴し合える人間力を持たなければならない」
「Innovativeなミドルは自身が心身ともに健康でなければならない」
「Innovativeなミドルになるための自己変革は卒塾を待たず、入塾したらその日から、出来る事から始める」

西岡塾の特徴と憲法

西岡塾の特徴と憲法

「上司の方針発表をボケっと見ている奴、下を向いてメモばかり取る奴はダメだ!」
「上司が連れて行きたい奴、部下が付いて行きたい奴は、上司や部下をランランと食い入るように見つめ、理解し、共鳴し合える奴だ!」とシャープのコンピュータ事業部長、インテル(株)の社長、モバイルインターネット・キャピタルの社長時代を通して西岡はつくづく心に刻んだ。
だから、西岡塾には目の腐った奴はいない。講師の話をメモばかり取る奴はいない。

全員が真剣勝負で講師の話を聴く。そのように躾けられる。経営学の理論書を読み漁った博学の士だからと言って部下は付いてこない。体を張って陣頭指揮する人間力、他人の痛み苦しみに共鳴出来る人間力、間違いを認めて一緒に成長を図れる人間力がリーダーシップの源泉だ。だから、西岡塾では座学よりも輪学を重視する。大学教授による経営学の講義も聴きっ放しでは終わらせない。講義で学んだことを塾生がグループに分かれて現場を訪問して学び、議論し、全員の報告会で知見の共有をする。ミドルにとって重要なPresentation、Communicationの実習の場となる。

実業重視

実業重視

毎年西岡塾の冒頭に講義をお願いする楠木先生は「私は実際のビジネスを経験したことが無いから塾生の苦労を理解出来ないかもしれない」と切り込まれ、「しかし、実際を知らないからこそできる理論的な体系化が出来る。だから日頃の実務を理論面から見る事にも大きな意味がある」とモチベーションを与えて頂ける。大賛成だ。翌週から
2週間は塾生たちがグループに分かれてZARAやH&M、UNIQLOと理論をベースにした競争戦略の調査に出る。

実務を抱えた塾生にとっては終業後に集まって研究に出掛け、議論し報告書に仕上げるのは激務だが異業種、異職種の頭を寄せて議論するのは大変楽しいという。絶対に勉強になる。
そして発表会では全員が等分に負担してプレゼンテーションを行うが、ここで西岡による「インテル流プレゼンテーション」の特訓がある。一人ひとり、資料を見ずに聴衆とアイコンタクト! 声が小さい! 後ろへ下がらない! 「あのー、えーは要らない」と愛の鞭が飛ぶ。
各自のプレゼンテーションはビデオに収められ、家でじっくり見て学べる仕組みもある。
大企業の課長たちが「会社では上司に叱られたことないのに、、、でもビデオを見ると塾長の指摘に納得」と言ってくれる。そして急速に上達してくれる。塾長冥加に尽きる。

塾の価値

塾の価値

講師陣を見てほしい。これだけ多士済々の講師の講演を毎週同じ塾で聴講出来て、しかも講演後には弁当(ビールも)を広げて夜遅くまで議論が出来る、そんな塾は他にはどこにもないはずだ。19時にスタートした講義が質疑を含めて21時半まで続き、その後の議論が23時近くまで続くこともしばしばだ。

しかし、それでも「塾の真の価値は塾生自身」である。異業種・異職種の塾生たちが会社の同僚には言えない悩み、家庭の悩みも含めてアドバイスし合える友を得るのは貴重なことである。このため塾としては出来るだけ多くの仲間とのコミュニケーションを深められるよう、グループ活動を多く取り入れ、しかもグループのメンバーを適切にシャッフルする。その甲斐あって卒塾してからの塾生たちの交流も盛んで、塾長としては多くの期の飲み会に参加するだけでも結構大変で、嬉しい悲鳴を上げている。

西岡塾の憲法

第一条: 出過ぎた杭になれ。

第二条: 雄弁は金、沈黙はクズ。

第三条: 自己変革の意欲無きものは去れ。

塾が刺激的な塾であるために

塾が刺激的な塾であるために

自己変革への動機づけと勇気を与える場は、場そのものが刺激的でなければならない。同じ企業文化の社員が議論を重ねても所詮は「井の中の蛙大海を知らず」だ。
Innovationはカオスと危機感とダイバーシティの中から生まれる。

  ・異業界、異業種、異職種の塾生が期を超えて知見を共有するネットワーク
  ・講師と塾生の真剣勝負の議論
  ・多業界からの実績あるゲストスピーカーが本人ならではの知見を語る
  ・西岡はすべての講義に参加し、講師と塾生間の触媒役を務める
  ・西岡は塾を常にInnovativeに進化させる先導役を務める
  ・講義は毎週金曜日の午後7時から9時半まで(1時間程度の質疑応答を含む)
  ・講義の後、講師と塾生が弁当を食べながら質疑を続ける(西岡がファシリテーター)

西岡塾の生い立ち

西岡塾の生い立ち

西岡郁夫は1999年にインテルを退社し、NTTドコモ、みずほ証券、インターネット総研と共同出資でベンチャーを支援するためにモバイルインターネット・キャピタルというVCを設立して代表取締役社長に就任し、日夜ベンチャー経営者の指導に当たっていたとき、丸ビルのリニューアルを終えて仲通り一帯の街づくりを進める三菱地所街ブランド企画部の人たちから「丸ビルにコンテンツを集めたい」と相談があった。話をして行くうちに「では丸ビルにビジネス塾を作ろう」と、一橋大学大学院ICSの学科長の竹内広高教授(当時、現ハーバード大学教授)にご相談し、ご援助を頂いて2002年に丸の内ビジネスアカデミー(@MBA)としてデビューした。

以後、新丸ビルの竣工に伴い@MBAも新丸ビルに移した。従って8期生までは丸ビル、新丸ビルといういずれも広くて素晴らしい
環境で学んで頂いた。だが、一方で広すぎて講師と塾生の距離が遠い。吉田松陰の松下村塾も、緒方洪庵の適塾も「こんなに恵まれた環境ではなかったはずだ。もうちょっと貧しくないと、、、」と思い至り、9期を迎えるに当たって六本木の狭いワンルームマンションに学びの場を移し、講師と塾生が膝を突き合わせて議論の出来る環境とした。今はその延長線でもう少し落ち着いた環境の元赤坂に西岡塾はある。@MBAであった名称もプログラムの内容が、大学教授による理論中心のアカデミックな講座から、多くの講師が現在ビジネスの現場でガンガン陣頭指揮して居られる現役の経営者となり、実践的な研修が中心と成熟して来、また塾長として西岡郁夫がより深くコミットするという意味を込めて丸の内「西岡塾」となった。
元赤坂なのになぜ丸の内なのですか?というご質問があるが、生まれ育った丸の内という地名を大切にして来た。
最近は流石に単に「西岡塾」と言う方が簡便なので塾生の呼び易い方でどうぞと言っている。丸の内で学んだ卒塾生たちは懐かしく@MBAと呼んでくれている。それも良きかな!

西岡郁夫のプロフィール

西岡郁夫のプロフィール

1943年 大阪生まれ
1966年 大阪大学工学部通信工学科卒業
1969年 大阪大学大学院工学研究科通信工学専攻修士課程修了
シャープ(株)入社。
入社後すぐ上司を説得してシャープにCADの研究グループを創設。
プリント基板の設計用CADシステムを開発し、実用化のためのCADセンターを開設して所長へ。外販システムとしても成功する。

 

 


LSI設計用CADや三次元機械設計用CADでも自社製ソフトの開発に成功して社内設計支援グループを運用した。その後、ソフトの研究開発領域を拡大するため技術本部コンピュータ・システム研究所を創設して所長となる。
1981年 CADの研究で大阪大学から工学博士を取得
1986年 情報システム本部コンピュータ事業部長、同副本部長を歴任。
1992年 インテル(株)副社長に転進。
1993年 同代表取締役社長
日本のパソコン、E-mail、インターネットの普及活動に邁進するとともに、経済産業省(旧通産省)のITSSPプロジェクトに参画し、日本企業の対米競争力を取り戻すべく「ITの戦略的活用法」を中堅・中小企業に教育しIT経営化の普及活動に指導的役割を果たした。
1997年 同代表取締役会長、99年4月退社。
1999年 モバイル・インターネットキャピタル(株)をNTTドコモなどとの共同出資により設立し、代表取締役社長に就任。ベンチャーの経営指導に注力する。
2000年 日本の大企業のトップがベンチャーを支援するために組織として「ベンチャーを支援するベテランの会」を設立。
2002年 ビジネスのプロフェッショナルを育てるための「丸の内ビジネスアカデミー(現在丸の内西岡塾に塾名変更)」を設立して塾長。

塾長 西岡郁夫について
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